46。企画

こんにちはこんばんは。

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タイトルから私が企画を何か考えたのかもと思った方々は直ちにお帰り下さい。

 

内容は真逆のものです。

企画を批判する内容なので。

 

 

 

 

 

 

 

 

三原色以来、いろんな企画をいろんな人が考え、いろんな人が参加する妄ツイ界隈の昨今、私は企画に参加しません。

 

血迷って参加することも極々稀にありますが、その時は猛省し、企画が終わる前にその作品を削除します。

 

基本的に、私は企画に対して良い印象を持っていません。というか率直に企画というものが嫌いです。

 

その理由は、

 

このメンバーで。

この設定で。

この画像で。

 

などなど、他人が考えたものを使って作品を書いたら、それはもう自分の作品ではないからです。

まぁ、捉え方は人それぞれですが私はそう思っています。

 

 

 

 

 

こうして思うのも私が社会人だからでしょう。

 

皆さんは学生と社会人、何が違うと思いますか?

 

お金を払うか稼ぐかの違いとかでは無く、

私は「問題」の出所の違いだと思ってます。

 

学生は教科書や参考書、先生等から問題(question)を出されますが

 

社会人になった途端にそういったものや人が居ないので問題は出されるという事がなくなり、自分で探すものになります。

 

そして社会人の問題は problem へと変わり、自分なりの答えを導き出します。複数の答えがあり、正解なのか間違いなのか、それも自己採点。

 

学生が社会人になって戸惑うのはきっとこの変化に気付いていないからです。

 

そしてこれが私の企画への不参加・嫌悪に繋がっています。

 

 

問題は出して貰えれば答えを考えるだけで良い。

けれど何が問題なのか、何処に問題があるのか、から考えると話は別。

 

問題があるから答えられる。

なので、問題があるのかどうかが分からなければ、答えを考えようがない。

 

問題と答えはセットであり、占める割合は半々。

 

企画は企画内容が「問題」の部分になってしまっていて、作品の半分を他人が占めている様なもの。書いたところでそれは作品の半分に過ぎない。

 

よって、完全な自分の作品ではない。

という考えに私は至り、企画が嫌いです。

 

 

というかそもそも、企画の為に作品を書こうと思った時点でそれはもう自分だけの作品ではないです。

 

企画が開かれるから作品を考えてみよう。

 

という作品のゼロ地点が企画始まりであるのだから、逆に企画が無ければその作品は生まれなかった事になります。

 

 

やれパクりだ、オマージュだ、パロディだとやたらとモメる割に、どうして完全な自分の作品とならない企画作品を書こうと思うのか、正直理解しかねます。

 

 

昔書いていた3期短編も全て、タグがあったからこそ生まれた、半分はタグ開発者の短編です。

 

だからこそ3期短編を終わらせました。短編を磨かせて下さった事は事実なのでモーメントの説明に「感謝を込めて」と入れて。

 

そして自分で考えて、思い付いた時に、書きたい時に書きたいだけ書く「きまぐれ」な短編を始めました。

 

 

ブログで鬱陶しい程書いた私の短編の考察は “自分で考えた” からこそ生まれ、またそれによって自分なりの自分だけの自分にしか書けない短編を書いて。

 

毎回満足満足です。

 

 

 

 

 

何か最近、やたら企画が開催される事が多いので今回のブログに書かせてもらいました。

 

こういう人もいるんだなぁ程度に適当に流してください。

 

ではまた。