39。境界線(沼3)

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こんにちはこんばんは。

 

最近妄ツイの事ばかり書いていますが

今回もです。

 

 

短編に関する事をまた。

お腹いっぱいの方は読むのをお辞め下さい。

今回の内容は特に分かりづらいです。

 

 

 

 

 

 

以前書いた短編の物体と時間と関係性の組み合わせは無限にあると思っていますが、

 

その組み合わせによって描く短編の世界観に至っては、種類は無限にあれど「境界線」が存在していると私は考えています。

 

 

 

 

 

 

私の短編の世界観は、組み合わせを考え物体や時間や関係性等を織りまぜて理由(原因)を想像していきながら作るもので、画像の被写体が「赤い服を着ている」場合を例とすると、

 

(画像) 赤い服を着ている

①↓その理由

(連想)兄が買ってくれた

②↓その理由

(連想)被写体の誕生日だった

 

こんな風に(自然な)理由または原因を思い描き、その画像となった理由を段階を経て探っていくのですが、この段階に私の考える「境界線」があります。

 

 

 

 

 

世界観は作品の厚みや重さがグッと増す為、深く作り込んだ方が基本的には良しとされますが、妄ツイに存在する長・中・短編の3種の内、短編だけは深く作り込み過ぎない方が良いと考えています。

 

140字という限られた文字数の枠内では書き切れないというのももちろんありますが、短編に於ける世界観は深ければ深い程読者に伝わり難くなっていく様に感じられるからです。

 

 

 

読む側が表現された文章を読んでいく上で、書き手が世界観を構築する際に複数経た段階をスルッと読み取れる境目が私の言う「境界線」です。

 

もっと簡潔に書きますと、

 

書き手側が読み手側に伝えられる世界観は、

境界線の内側までの世界観。

 

と言ってもまだ伝わっていないでしょう…

 

もう一つ例を挙げます。

私が以前書いた

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この短編の世界観作りの過程は、

 

 

「冬服を着て海を眺めている」

 

⓪↓分割    ⓪’↓分割    ⓪”↓分割

冬服を着て   海を      眺めている

①↓理由    ①’↓理由    ①”↓理由

彼氏が貸した  デートで来た  遊び疲れた

②↓理由    ②’↓理由    ②”↓理由

海風で寒い   思い出の場所  一日中デート

③↓理由    ③’↓理由    ③”↓理由

薄着だった   出逢った場所  彼氏彼女

④↓理由

車内に居た

 

 

確かこんな風に組み合わせで浮かび上がるものとの整合性をとりつつ、分割した別ルートの理由同士もリンクさせながら作り、最終的に理由となったものを使って締め文(結果文)を作ったと記憶してます。

 

この短編では理由となったものを文章に起こしているので4段階目はかろうじて境界線内ですが、もし文章に起こさなかったら2段階目が境界線内になります。

 

 

短編内の事象の理由(となる一節)を書き手が書かなかった場合、その部分を読み手側で考えて貰う訳ですが、読み手側それぞれに個人差が生まれ、3段階目ともなると読み手側の考えた理由は一気にバラつき、書き手側が伝えたい世界観から離れてしまうのだと思います。

 

・敢えて理由(原因)を書かない短編

・理由という理由をほぼ全部書いた短編

 

この2つを何個も書いていると明らかに後者の方がいいね数が多くなる事が伺えました。

 

どうしてそうなるのかと原因を色々考えました。文章の良し悪し、更新時間帯、被写体メンバーなどなど。

どれも当てはまる気がしましたが、もっと根本的な何かだろうと思い、そもそも伝わっているか伝わっていないかの差だと考えました。

 

伝わっていないのなら、良い短編なのか悪い短編なのか読者は判断のしようがありません。

結果的にいいねを押す事を躊躇われて前者のいいね数が少なくなるのでは?と。

 

 

以前のブログに書いた

「初見で読者が一発でイメージ出来る文章」

「短編を書き上げてから客観視する」

はそれを考えた上での産物です。

 

 

とはいえ、「境界線」など所詮私が感じただけの無いに等しいものであり、いいねが少ないから何なのだと思いもします。

 

敢えて理由を書かなければ読み手側の考えのバラつきによって、一個の短編から無限に生まれ得る長編の一端になります。

 

 

一応結論として、境界線によって短編は大きく二つに分かれ、

 

境界線内で書く 

→・伸びやすい短編になりがち

 ・世界観は書き手主体

 

境界線を越えて書く

→・伸び難い短編になりがち

 ・世界観は読み手主体

 

たぶんこんな感じです。

 

 

理由を書かずして世界観を表現し、書き手の考えたたった一つの世界観をどの読者にも全く同じ様に伝える事が出来る短編を書ける人がもし居たら、その人は本物の天才でしょうね。

 

 

ここまで私の戯言にお付き合いいただき、

ありがとうございました。

 

また書きます。

それでは。